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2011年5月29日 (日曜日)

、「装甲騎兵ボトムズ 孤影再び」「装甲騎兵ボトムズ equalガネシス」

震災後、自分の身の丈で出来る事を考え続けて色々やってみたけれど、自分の無力さを痛感するばかりで、どうしても気持ちが上がってこない只野です。

被災地域の方々の苦労や現政権下での原発対応等と比べ、オイラの悩みなどプランクトンより微細なものなのですが、世の不条理に対する得も言われぬ罪悪感とか、憤りで悶々としてしまうのはオイラだけではないと思いたい。

いやいや、被災地の方々から、むしろ元気を戴く機会が増えてきたので、オイラも立ち止まってはいられないと思う今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

さて、震災後、オイラの身辺でも色々と事態の変化があったのですが、その話題は追々お知らせするとしても、ここでメディアの変化としてはボトムズ関連の話題をしましょう。

Rimg0469 アマゾンで予約していたので発売日の前日に届きました。

「装甲騎兵ボトムズ equalガネシス」の小説2冊。

孤影については2006年に「日経エンタテインメント!」に連載が始まって以降、このブログでもアナウンスし続けてきた訳なのだが、この度待望の文庫化という事で改めて読み返した。

アレギュウムの赫い霍乱」から3か月、交易都市グルフェーへ姿を現したキリコが様々な事件に巻き込まれる。

映像化された状況と根本的に違うのは、テイタニアがマーティアルの法王である父のもとへ戻っているという状況。キリコを「秩序の盾」として追う状況は、連載当時「テイタニアは堕落した」と思ったものだった。だが、読み進めるにつれ、ココナとテイタニアが対峙して感情をぶつけ合うシーンでは、キリコの気持ちが昔のままだという事が浮き彫りになり、気持ちを揺さぶられた事を思い出した。

映像を先に見た方々には、物語の奥に隠された個々の想いを読み取る意味で是非読んで戴きたい。

equalガネシスは、94年にニュータイプ誌で連載されていた当時「装甲騎兵ボトムズ 」のタイトルは付けられていなかったのだが、今回の文庫化にあたり、付けられた様だ。此方も当時の記事を大切に保管している。連載当時の高橋良輔監督と村瀬修功氏の対談は今回掲載されいなかったが、後の「ガサラキ」に通じていく関わりとして興味深い。

キリコ達の物語の約300年後のアストラギウス銀河における「ロボトライフ」と呼ばれる類人兵器の覚醒に纏わる物語である。

「青の騎士ベルゼルガ物語」がパラレルワールドとして理解せざるを得ない状況設定だった事と比べ、この「equalガネシス」は、ボトムズサーガ、つまりはアストラギウス銀河の「正史」と位置づけられる存在だ。

勿論、独立した物語としてはロボトライフの「覚醒」を軸として高橋節がさく裂しているので、ファンは必読なのだ。

装甲騎兵ボトムズ 孤影再び (角川コミックス・エース 332-2) Book 装甲騎兵ボトムズ 孤影再び (角川コミックス・エース 332-2)

著者:高橋 良輔
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装甲騎兵ボトムズ equal ガネシス (角川コミックス・エース 332-1) Book 装甲騎兵ボトムズ equal ガネシス (角川コミックス・エース 332-1)

著者:高橋 良輔
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コメント

ボトムズは、つくづく海外に展開して欲しい作品だと思う。

欧米では、聖書は伝説ではなく実際に起こった事として認識されている。だから、「ベルセルク」の様な漫画が海外ではウケるのだ。聖書が実際にあったものだと信じる為、「ベルセルク」に出てくる妖怪変化が実はいたんじゃないのかとまで錯覚してしまうのだ。

だが、十字軍の時代から、神と戦争の矛盾を感じてきた欧米人には、ボトムズの宗教観というものが切実に感じられるのではと思う。


日本では、拒否反応を示す人も多いが、ボトムズ作品は、ハリウッドで、採り上げられてもいい作品の様に思う。

投稿: タッグ | 2012年8月31日 (金曜日) 16時55分

>タッグさん

はじめまして。

日本の神話に出てくる血統の末裔が天皇だったりしますが、海外の神話とは違って自然そのものに寄った感じですね。

島国だからこその、ある意味閉鎖的な環境と四季のある自然が独自の文化を生み出しているのだと感じます。

上記の事は直接は関係ないのかもしれませんが、戦後の空気を実感した世代の高橋監督が手塚アニメの洗礼を受けて商業芸術の枠の中で生み出した「ボトムズ」という作品は、「神」不在をひとつの軸としていますし、近年まで新作が作られている状況を監督自身も意図していないと発言しています。

つまりは、その時々の情勢(スポンサーや商業としての枠の問題等)機運が高まれば現れ、落ちれば停滞するという特殊な性格の作品であるとつくづく思いますし、あえてマイナーである事を自身で選択しているともいえます。

フィアナの処遇も含め、監督自身が何れ決着を付けなければならない状況は変わりませんし、ここまで来ると、「ああ、もう人生の総決算を計算にし出したな」と、幻影篇を見て感じました。

僕個人の意見としては、その決着が着いてから、次の世代がその後の取り扱いを考えればイイと思っています

単純にハリウッド進出を否定している訳ではないのですが、その前に決着を見届けたい、という想いがあります。

投稿: 只野 | 2012年9月 1日 (土曜日) 01時48分

コメントありがとうございます。


欧米人にとっては、神と戦争の矛盾というものは、十宇軍の昔から何世紀に渡って考えられてきたものであり、そういった視点から海外の戦争映画を見ると、欧米の監督の意図しているものがより一層理解出来ると思います。
欧米人には、神と戦争の矛盾というのが、永遠のテーマの一つであり、その点を、ボトムズ世界が突いているというのが、欧米人に非常にウケる要素(ツボ)でもあり
、ハリウッドに採り上げられ易い要素でもある、と思います。


また、フィアナの処遇ですが、もう30年も経って結論が出てないのに、今更決着して欲しくないです。
フィアナの様な美人は、カプセルの中で、永遠に眠っていてして欲しいです(笑)。もう「そっとしておいてくれ」という気持ちです。

投稿: タッグ | 2012年9月 4日 (火曜日) 18時40分

>タッグさん

まいど。sun

元々ボトムズってタイトルは、ハリウッド映画からのパクリが多い割に作品強度が高いといわれていますが(ブレード・ランナー、地獄の黙示録、砂の惑星、エイリアン、等)逆説的にいえばダグラムでの焦点分散という反省からボトムズではハリウッド的手法を取ったともいえるのです。

嘘か本当か解りませんが、小説版のあとがきでの「スタローン、ボトムズ映画化構想」に対する回答として「ボトムズはマイナーを突き進む」という言葉もありましたね。

軽視と誤解される事を恐れずに云うならば、「商業芸術」の枠でのらりくらりやって来た結果としての「ボトムズ」シリーズだと僕は感じますし、フィアナの件にしても、監督の意図に反して物凄く批判された結果としての「孤影、小説化」があり、監督曰く「偶然は凄い」という言葉に繋がっていると思います。

「ボトムズ」で大儲けが出来るとハリウッドの企画サイドが判断すればいいのですが、のらりくらり思い出した様に時々現れるという性質も、「ボトムズ」らしさといえなくもない。ホビー業界においては「ボトムズは盆栽の様なもの」という認識があるみたいで、爆発的には売れないけれど、ジワジワ売れて、在庫はハケルらしいですからね。


投稿: 只野 | 2012年9月 5日 (水曜日) 02時23分

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